喜多院
埼玉県川越市小仙波町一丁目
慈覚大師が830年(天長7年)に創建した天台宗の寺院で正式名は、星野山無量寿寺喜多院です。
時代は下り、慶長4年(1599年)天海大僧正が法灯を継ぎました。
天海大僧正が徳川家康公、秀忠公、家光公の顧問的存在として重用されることもあり、慶長17年(1612年)より喜多院の復興が川越藩により進み、関東天台宗の中心寺院となりました。
慈恵堂とも呼ばれる本堂です。寛永15年(1638年)に起こった川越大火の後に再建されました。桁行9間・梁間6間の大きく、近世初期の天台宗本堂として貴重な建造物です。
比叡山天台宗の寺院であり、基本毎日護摩を厳修され「厄除けの大師さま」として信仰を集めています。これが、由縁で川越大師と呼ばれています。
トップの写真が重要文化財の慈眼堂です。小高い丘の上に建てられ、天海僧正が亡くなった3年後の天保2年(1645/江戸時代)に、徳川家光の命令により建てられたものです。慈眼堂内には「木造天海僧正坐像」が、安置されています。
山門です。
寛永15年(1638)の大火を免れた喜多院で最も古い建物です。
鐘楼門附銅鐘です。
寛永15年(1638)の大火に焼け残ったともされていましたが、刻銘と細部意匠などの特徴から、元禄15年(1702)ころの造営と考えらています。
上層には、その刻銘がある銅鐘が吊られています。
目立つのがこの多宝塔です。
大きくて美しく、ある意味川越のイメージにもなっている塔です。寛永16年(1639)に竣工の古い塔ですが、重要文化財の指定はされてません。明治時代にコンクリートを使って修繕された記録があり、これがために重文の指定を見送られているのではないでしょうか?
そして、貴重なのが、奥手にある書院です。ここだけ、拝観料、400円が必要です。
江戸城から移転された建物で、ここで徳川家光が誕生しました。
建物は写せないので川越市のホームページからお借りします。
内部は、写真禁止ですが庭は写しました。
渡り廊下も。。
この渡り廊下は本堂につながっているようですが、さすがにチキンハート?で途中で引き返しました。
天井絵は、気が付かずみれてないです。。
春日の局が使った部屋もあり、貴重な建造物です。有料だからと言ってパスせず、寄られることをお勧めします。
尚、書院内でもアナウンスされてましたが、家光公が誕生した時は、この書院は江戸城にあり、家光公は川越出身ではないです。お間違いのなきよう。。
時代は下り、慶長4年(1599年)天海大僧正が法灯を継ぎました。
天海大僧正が徳川家康公、秀忠公、家光公の顧問的存在として重用されることもあり、慶長17年(1612年)より喜多院の復興が川越藩により進み、関東天台宗の中心寺院となりました。
慈恵堂 県指定有形文化財・建造物
慈恵堂とも呼ばれる本堂です。寛永15年(1638年)に起こった川越大火の後に再建されました。桁行9間・梁間6間の大きく、近世初期の天台宗本堂として貴重な建造物です。
比叡山天台宗の寺院であり、基本毎日護摩を厳修され「厄除けの大師さま」として信仰を集めています。これが、由縁で川越大師と呼ばれています。
パンフレットから
トップの写真が重要文化財の慈眼堂です。小高い丘の上に建てられ、天海僧正が亡くなった3年後の天保2年(1645/江戸時代)に、徳川家光の命令により建てられたものです。慈眼堂内には「木造天海僧正坐像」が、安置されています。
山門です。
寛永15年(1638)の大火を免れた喜多院で最も古い建物です。
重要文化財 山門 【江戸前期】
鐘楼門附銅鐘です。
重要文化財 鐘楼門 【江戸中期】
寛永15年(1638)の大火に焼け残ったともされていましたが、刻銘と細部意匠などの特徴から、元禄15年(1702)ころの造営と考えらています。
上層には、その刻銘がある銅鐘が吊られています。
目立つのがこの多宝塔です。
県指定有形文化財・建造物 多宝塔
大きくて美しく、ある意味川越のイメージにもなっている塔です。寛永16年(1639)に竣工の古い塔ですが、重要文化財の指定はされてません。明治時代にコンクリートを使って修繕された記録があり、これがために重文の指定を見送られているのではないでしょうか?
そして、貴重なのが、奥手にある書院です。ここだけ、拝観料、400円が必要です。
江戸城から移転された建物で、ここで徳川家光が誕生しました。
建物は写せないので川越市のホームページからお借りします。
重要文化財 書院 【江戸前期】
内部は、写真禁止ですが庭は写しました。
渡り廊下も。。
この渡り廊下は本堂につながっているようですが、さすがにチキンハート?で途中で引き返しました。
パンフレットから
天井絵は、気が付かずみれてないです。。
春日の局が使った部屋もあり、貴重な建造物です。有料だからと言ってパスせず、寄られることをお勧めします。
尚、書院内でもアナウンスされてましたが、家光公が誕生した時は、この書院は江戸城にあり、家光公は川越出身ではないです。お間違いのなきよう。。
2024-10-03 02:54:59(木)ページのトップへ
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